超・高齢化社会を考える!

高齢化社会の実情をつづるドキュメンタリーブログ

第四回:ドキュメント「死にたい」症候群、抗うつ剤漬けの母親! 2

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第四回:ドキュメント「死にたい」症候群、抗うつ剤漬けの母親! 2

「死にたい症候群」=ゾンビ現象

母親Mというのは、もともとやや鬱病っぽい人間ではある。
自分の人生をつねに悲観しており、それが時にヒステリー発作となって、特に息子である筆者に言葉の刃となって向けられてきた。
幼少期から、これはずっとそうだった。
詳しくはここでは書かないが、これは彼女自身の前半生とも大きく関係しているものと思われる。
もともとかなりの難がある人物で、このヒステリーが始まると、モノを投げつけたりもした。
それが、だんだんパワーがなくなり、加えてヒステリーを起こしても筆者が相手にしなくなった。
数年前からの衰弱で、ヒステリーという形でモノを投げつけたりということはなくなった。
それが、精神安定剤エチゾラムデパス)を飲むようになってからは、飲んでいるうちはある程度ご機嫌なのだが、効果が切れてくると不安や悲観が極度に増幅されるらしく、ことあるごとに「死にたい」などとと言い出すようになった。
ことに、自分の要求が通らないと、
「どうせ、あたしなんか、明日の朝、死にますて!」
「生きていても、楽しいことが一つもない」
「ここの家に、思い入れがあることなんて一つもない」
「生きてるのも、なにもかも、すべて面倒くさい」
などと、ゾンビのようなことを筆者に言ってくる。

エチゾラムが切れてくると、母親Mから浴びせられるネガティブきわまりない言葉の数々。同居者かつ介護者にとっては、非常に悪影響が大きい。

エチゾラムが切れてくると、母親Mから浴びせられるネガティブきわまりない言葉の数々。同居者かつ介護者にとっては、非常に悪影響が大きい。

両親には、筆者と対照的に、手取り足取りで「彼ら」が育てた娘もいる。
だが、この娘には、こういうことを言ったことはない。
ヒステリーも、娘に対しては向けた記憶がない。
なぜか、筆者にだけ常に向けられてきたが、ゾンビのような言いぐさも、筆者にだけ言うのだ。

本当に死にたいわけ?

筆者は、最近では基本的に相手にしないことにしている。
本当に死にいたるような人は、こういうことは言わない。
「死にたい」とか、「明日死んでやる!」などと言うのは、一種の自分の要求を通そうとするための脅迫で、質の悪い「甘え」に他ならない。
実際、不安定になってくると毎日のようにこういうことを言うが、いまだにこの人は死なないでいる。

「死にたい」「死んでやる」といった言動は、ある種の甘えでもある。が、これを振り回すのはれっきとした狂気だ。

「死にたい」「死んでやる」といった言動は、ある種の甘えでもある。が、これを振り回すのはれっきとした狂気だ。

なので、忙しいときにこういうことを言い出したら、筆者は、
「黙れ!だ・ま・れ!」と言うことにしている。
楽しいことがないだの、すべて面倒くさいだの、ふざけるな!
こちらだって、お前たちのことでいろいろと処理するのは、面倒くさいわ!
だいたい、楽しみだの、生きる意味だの、そういうことは、筆者が与えるわけにも、他人が与えるわけにもいかない。
彼女自身の人生観の問題だ。
筆者に言って、どうせよというのだ?
甘えも、たいがいにしてほしいものだ。
二週間ほど前、エチゾラムがなくなった時期、鬱っぽくなる状況が悪化し、恒例のゾンビ現象が筆者に向けられ、上記のようなことをかなりしつこく、グダグダ言い出したので、さすがにはっきりと言った。
「あのね、私は人間の自由意思というものを尊重する人間です。あなたが、自由意思で死ぬ、というならば、自由意思の尊厳性を大切に思う私は止めません。お死になさい。葬儀はちゃんと葬儀場用意して行ってあげます。でも、できないならば、言うのはおやめなさい。人間は、いろいろと辛い気持ちはだれでもありますし、あなただけが特別と言うわけじゃありません。あなたがそう言うことで、私を脅迫して自分の要求通りにさせようとしても、私はそういう甘えは嫌いなので、ムダです。いいですか?死ぬなら勝手にお死になさい。でも死ねないならば、二度とそういうことを安易に言わないでください。吐き気がします」
とぴしゃりとやった。
最近は少しはおとなしい。
当然、死ぬ気配もまったくない。

エチゾラムデパス)とはどんな薬なのだ?

それにしても、「エチゾラム」とは、どんな薬であるのか?と思い、ネットで見ると、このような記事が出てきた。

www.kegg.jp

副作用はほとんどない、安全性が高い薬だ、という医師も多いそうだが、「副作用」項目のところにこうある。

連用により薬物依存を生じることがあるので、観察を十分に行い、用量及び使用期間に注意し慎重に投与すること。また、連用中における投与量の急激な減少ないし投与の中止により、痙攣発作、せん妄、振戦、不眠、不安、幻覚、妄想等の離脱症状があらわれることがあるので、投与を中止する場合には、徐々に減量するなど慎重に行うこと。

母親Mが、近所のクリニックに、エチゾラムがなくなるから、出してほしい、と電話でごねているのを目にして、唖然とした。
「・・・もう、エチゾラムがなくなるんですて。これから行くので、出してもらえませんか?期間の問題がある?出せない?・・・でも、あれがないと苦しくなる。・・・そんなら、苦しくなって、あたしが死んでもいいというのか!(目つきが変わり、豹変)・・・頼みますから、出してください!」
・・・なんだこれは?
まるで、映画に出てくる麻薬依存症患者ではないか・・・?

エチゾラムの離脱症状は、現在、大きな問題となっているのは、依存性が極めて強いからである。

エチゾラムの依存症は、現在、大きな問題となっている。離脱症状は極めて深刻である。

エチゾラム錠は、一粒0.5グラム、高齢者は一日3粒1.5グラムまでにするように、と注意書きがある。
母親Mに、「あなたは、最近、エチゾラムを何粒飲んでいるのだ?」と筆者が訊ねると、
「これを飲むと調子がいいが、ないと胸が苦しくなるから、って言ったら、医者は、それなら、安全性は高い薬だから、どんどん飲んでいいって言った」
とかで、なんと一日6粒から7粒ほど飲んでいる、というのだ!
オーバードーズ(過剰摂取)になりつつある。
医師は、一日4粒までの計算で出しているようだが、・・・これでは、すぐになくなるわけだ。
そして、なくなった場合・・・一種の禁断症状として「死にたい症候群」が起きるという、まことにわかりやすい構図だ。

禁断症状=離脱症状

実は、父親Sもまた、エチゾラム錠を常用している。
これは、降圧剤の頓服薬として出されたのだが、緊張を和らげ血圧への恐怖を落ち着かせるためか、これを飲むと血圧は下がるのである。
エチゾラムは基本的にはれっきとした向精神薬、つまり精神安定剤であり心療内科等で、若い人で鬱病を患っている場合でも処方される薬である。
だが父親Sのようなケースでも処方されているし、内科でもいろんなケースで処方されてきているため、すそ野が非常に広がっているという。

しかし、「連用により薬物依存を生じることがある」というのは本当のことで、実は問題にもなっている。

エチゾラムに慣れてしまうと、それがなくては通常生活を送れなくなる場合が多いという。

エチゾラムに慣れてしまうと、それがなくては通常生活を送れなくなる場合が多いという。

実は、筆者は以前の仕事上の相棒が、完全にこのエチゾラムの中毒となっていたのを目にしている。
この相棒の場合は、他にも鎮痛剤を複数乱用していて、複合的な薬物への依存状態にあった。
が、エチゾラムデパス)は、ひどいときは一日15粒ほど飲んでいたのを覚えている。
そうなると、どうなるか?
彼が言ったことには、
「これを飲まないと、朝、起きることができない。すべてがイヤになってしまう。電車に乗るのが怖いんだ。人の視線が気になってしまい、目を合わせて会話ができない。切れてくると、いてもたってもおれなくなってしまう」
彼の場合は、同一医師では出せる量に法定制限があるため、整形外科、内科、心療内科からそれぞれ出せるだけの量を出させていた。

エチゾラムは安全性が高い薬」?

エチゾラムは、安全性が高い薬だ、とか上記の筆者の元相棒もさかんに口にしていた。
しかし、その実態を見ていると、とんでもない。
こうした依存症の人は、かなり多いと聞く。
ネットで見ると、東洋経済onlineがこのような記事を特集していたりする。

toyokeizai.net

この記事を見ると、・・・まるで自分の両親のことを言っているかのようだ。
特に、禁断症状については、母親Mはすべて当てはまっている。
それにしても、このエチゾラムという精神安定剤が、こんなにも広く使用され、かつ問題も抱えた薬だとは・・・。
依存症に陥った人は、実際に減薬しようとすると、不安や恐怖心がかきたてられ、さらには「希死念慮」すなわち、母親Mのように「死にたい」といった観念に襲われる、という。
これはまさに母親Mの「死にたい」症候群と一致している。
どうやら、母親Mのこのゾンビ現象は、エチゾラム離脱症状=禁断症状の一種と考えることもできそうだ。

「魔法の薬」と言われていた時代もあるというエチゾラム。しかし現代ではまともな医師ならば使用を控える傾向にあるのは、依存性が強いからだ。

「魔法の薬」と言われていた時代もあるというエチゾラム。しかし現代ではまともな医師ならば使用を控える傾向にあるのは、依存性が強いからだ。

この精神安定剤は、最初は「魔法の薬」のようにもてはやされ、日本では精神科のみならず内科でも整形外科でも心療内科でも幅広く処方されてきたという。
現在は依存症が非常に多い合法薬となってしまっているため、2016年に「麻薬及び向精神薬取締法」の指定を受けた。
これは、どういうことかと言うと、上記の東洋経済onlineの記事中にもあるが、

この指定を受けた薬は厚生労働大臣あるいは都道府県知事から免許を受けた者しか取り扱いできず、厳格な保管や在庫記録の管理などが求められ、医療機関同士や保険薬局同士でも一部を除き譲渡・譲受はできない。ある薬が同法に基づく政令での指定を受けていることについては医療現場でいくつかの意味をもつ。

まず、指定を受けた薬剤は処方日数の上限が定められる。これは効果や副作用などの安全性の確認や患者が正しく使えているかなどを定期的にチェックすることが必要になるからだ。一般に向精神薬の指定を受けたものの多くは処方日数上限が30日となる。これにより患者の乱用へのハードルは高くなる。

今現在はこの薬の「依存性」は問題視され、医師の間でも積極的な処方は控える傾向にあるのだという。

安易に、依存性を伝えずエチゾラムを処方する高齢者医療

だが、母親Mにこれを処方した医師は、依存性のことなど何の説明もなく、母親Mが訴える「胸が苦しい」というような症状を、一種の不安神経症とみなして処方した。
「胸が苦しい」は、他の薬の副作用による面が強く、薬を減らし、また副作用が強いものを別の薬に変更させたら現在は落ち着いてきている。
しかし、エチゾラムについては、母親Mはもはやなくなるとゾンビ現象を起こすし、これが切れることが不安で不安で仕方がない。
記事にもあるのとまったく同じ、医師が「法定処方量があるから、今は出せない」などと言えば、ジャンキーのように、食ってかかる。
こういう依存症に関して、この医師はちゃんとした認識をもって処方しているのだろうか?
・・・とうていそう思えないのだが。
「苦しかったら、一日何粒でも飲んでよい」とさえ言っている。
結果、母親Mは完全な依存症になり、頻繁にオーバードーズ(過剰摂取)に陥り、切れれば離脱症状=禁断症状を起こし、「死にたい症候群」を発症していると考えることができる。

エチゾラムの離脱症状は、深刻であるが、医師は少なくとも筆者の両親には非常に安易に出している。しかし一度依存したらもはややめれば害のほうが大きいのが、この薬の恐るべき点だ。

エチゾラム離脱症状は、深刻であるが、医師は少なくとも筆者の両親には非常に安易に出している。しかし一度依存したらもはややめれば害のほうが大きいのが、この薬の恐るべき点だ。

前回も書いたが、筆者は高齢者医療を行っているこの医師に対し、疑惑をつのらせている。
あまりにも安易だ。
これが日本の高齢者医療の実態だとでもいうのか?
父親Sにも、頓服薬として同じ医師が出している。
父親Sの場合は血圧パニックを起こすのに対して出しているわけだ。
まだ父親Sのほうは、「死にたい症候群」は起こしていない。
だが彼の場合は認知症と合わさった「死ぬのが怖い症候群」を発症しており、エチゾラム処方以来これが悪化しているのを見ていると、これもまた一種の禁断症状の一つなのかもしれない。
「死にたい症候群」ではなく、「死ぬのが怖い症候群」として離脱症状=禁断症状が出ている可能性は十二分に考えられる。
こうした依存症と禁断症状は、本人のみならず介護に関わる筆者にも重大な悪影響を及ぼしている。
こういうことを、この医師はどう考えているのか?
彼は明らかに薬の依存性も知ったうえで出している。
年齢的な問題を考えた場合、依存症になってもどうせもう長くは生きないのだから、麻薬のようなものを与えて麻痺させてしまえば本人も楽になるし、医師も面倒がなくなるし、という魂胆なのか?

医師にも、患者にも問題はあるが、根本的には・・・

この医師には、明らかに問題はある。
しかし、こうした医師の問題も、両親の問題も、実は根は全く別のところにあるような気もする。
両親のこうした状況を観るに、この人たちは死に対する恐怖心がやはりとても強い。
死を受け入れられない。
だから、「血圧が高い、脳梗塞が起こる!」とか「胸が苦しい」とパニックを起こし、毎日のように不安に駆られ、この医師のところに駆け込んでいたわけだ。
生物である以上、人は誰でもいつかは死ぬ。
これはシンプルな事実だ。
そして人間が死を怖れるというのは、おかしいことではない、とは思う。
が、しかし、この人たちの場合は・・・どうも死を根本的に否定している気がする。
自分は死ぬのではないか?という不安でパニックを起こし、血圧計を延々と測り続けたり、毎日のように胸が苦しいと病院に駆け込み、二人とも「いい薬をよこせ」と要求する。
死を否定しているから、死に対して不安が増幅されているようにも見受けられる。
それは裏返せば、納得して「死」を受け入れるだけの「生」がない、とでも言おうか・・・?

死生観というものが明確でない人が圧倒的多数と思われる超・高齢化社会。生に意味を持てず、かといって死は否定するという矛盾。

死生観というものが明確でない人が圧倒的多数と思われる超・高齢化社会。生に意味を持てず、かといって死は否定するという矛盾。

母親Mのゾンビ現象は、
「生きていても、楽しいことが一つもない」
「ここの家に、思い入れがあることなんて一つもない」
「生きてるのも、なにもかも、すべて面倒くさい」
といった言葉を伴う。
ここに、この問題の大きな核心の一つがある。
生きるということの意味が、この人の場合は希薄なのだ。
それは、今に始まったことでもないだろう。
自分が、生についてどのように考え、なにに対して尊厳を置いているか?というような問題なのだと思う。
それが、この人たちには昔からまったくない。
常に、マニュアル通り、世間体通りで形式的にすべてを履行しとけばそれでいい、という考えで生きてきたのだ。
だが、死生観とか、どこに尊厳性を置くか、といった話は、人から与えてもらうものではないので、マニュアル通りという思考では答えが出てこないのである。
結局、エチゾラムという「麻薬に近い合法薬」に依存することで、人生の根幹に関わる部分をはぐらかしつつ、ただ生きている、ということになっている。
だが、似たような人がこの周辺には多数おり、これはもしかすると母親Mだけが特別にそうだというわけではないのではないか?と筆者は最近思うようになってきている。

手っ取り早いから・・・「麻痺させる」という解決策

依存性があることがはっきりしているエチゾラムを安易に出す医師というのも、この医師に限らず、日本社会では極めて多いと思われる。
現代医療は、原則が対処療法だ。
患者はいろいろと問題を抱えているわけだが、診療を通して、「なんらか目に見えた結果」を出すことを医師たちは常に要求されている。
実は、高齢者医療においては、患者は当座の症状が緩和されることのみを要求するケースが多いのではないだろうか?
つまり、根本的な原因について、考える人が極めて少ないということだ。
たとえば、脊椎間狭窄症のような症状が出ているとして、本来ならば筋力を強化するなり、食事を見直すなりの地道な対応をしていかなければならないはずなのだが、大半の高齢者の患者は、この痛みをすぐに手軽になんとかしてほしい、となる。
そうなると、ロキソニン湿布などを出して痛みを「麻痺」させてしまうのが一番手っ取り早いということになる。
そのほうが患者である高齢者も喜ぶ。

死生観がはっきりせず死への不安がある場合、対処療法としては精神安定剤で「麻痺させる」ということが解決策なのだろうか・・・

死生観がはっきりせず死への不安がある場合、対処療法としては精神安定剤で「麻痺させる」ということが解決策なのだろうか・・・

医師にしても、こういう患者の要求に応えようとすれば、原因を究明するよりも、とりあえずは対処療法として症状を緩和させればいい、ということになってしまう。
明らかな骨折だとか、傷口が化膿したとか、風邪や新型コロナウイルスに感染した、とかであれば、こうした「対処療法」はわかりやすいし、たとえば傷口に抗生物質とかつけるならば結果もすぐわかるし、必要な処置でもある。
しかし、日本における高齢者の多くが、もし、筆者の両親に近い状況、すなわち自分の生の意味というものがわからない生き方をしてきている人が多いのだとしたら?
生への不安、死に対する不安というようなものを自分で見つめたり、生に対して意味づけすることができないのだとしたら?
そして、毎日のように死の不安におびえて病院に駆け込んだりするとしたら?
つまり、その大きな原因が、自分の存在に対する根本不安のようなところから出ているとすれば、これに手っ取り早い対処療法を行うとしたら・・・それは「麻痺」させるしかなかろう。
腰の痛みにロキソニンを使って麻痺させるように、精神的な不安にはエチゾラム等の向精神薬でも使うしか処置の方法はない、というのもまた真実なのではないだろうか。

高度経済成長期以来の総決算ともいえる超・高齢化社会。その闇ともいえる人間の虚無感。まさにそこにこの問題の核心の一つはありそうに思われてならない。

高度経済成長期以来の総決算ともいえる超・高齢化社会。その闇ともいえる人間の虚無感。まさにそこにこの問題の核心の一つはありそうに思われてならない。

超・高齢化社会とは、こうした「存在の価値からの逃避」「生の意味からの逃避」といった大きな問題をはらんでいると筆者には思われてならない。
現実的な生と死の問題を自分自身で考える、という生物としての尊厳にかかわる部分をないがしろにしてきた高度経済成長期以来のつけが、結局はある種の麻薬的な処置による「麻痺」でしか解決がつかなくなっているのかもしれない。
だが、そういうことになってくると、これは社会そのものの内部に存在する、現代日本がずっと見て見ぬふりをしてきた闇の部分ともつながっていることになってくる。
教育のあり方にも原因はあるだろうが、産業構造や社会のあり方とも、超・高齢化社会というのは大いに関係していると思う。
複合的な問題なのだ。
次回以降、少し実家問題からこうしたことをいろいろと考えてみたい。

 

第三回:ドキュメント「死にたい」症候群、抗うつ剤漬けの母親! 1

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第三回:ドキュメント「死にたい」症候群、抗うつ剤漬けの母親! 1

二方面作戦?

前回まででお伝えしたように、父親S氏の認知症の進行が、狂気的な行動になりつつある問題は、非常に深刻な様相を呈してきているのだが、実家にはもう一人、物理的にも精神的にも問題を抱えた人物がいる。
母親Mである。
筆者の場合、この両名に対する「二方面作戦」という非常に難しい対処をしなければならぬ困難が発生している。
これは、医療の問題も深刻にからんだことで、実家の問題に限ったことではないと思われる。
すべて実話である。
以下、レポートとしてお伝えする。

最初はまだそれほどではなかった

筆者の母親M女史。
現在83歳であるが、78歳ころから体の各所に不調を生じるようになった。
78歳のとき、植木の水やりをしている最中、背骨の圧迫骨折を起こし、コルセット着用しなければ身動きできない状況に陥った。

圧迫骨折が、最初のきっかけだった。そこから骨盤内臓脱が起こり、母親Mは衰えていった。

圧迫骨折が、最初のきっかけだった。そこから骨盤内臓脱が起こり、母親Mは衰えていった。

圧迫骨折の方は、この時は二カ月ほどでなんとか治癒に向かった。
だがコルセットによる内臓圧迫の影響か、ほぼ同時に「骨盤内臓脱」を発症、子宮や膀胱が産道からはみ出る症状は、歩行が困難になるだけでなく、尿意をコントロールできなくなり、下腹部の不快感を訴えて失禁等を繰り返すようになった。
産婦人科の軽度の処置ではどうにもならず、子宮摘出手術を行う。
それが79歳のときのことだ。
なんとか少し持ち直し、圧迫骨折と合わせリハビリを、と医師も本人も言っていた矢先、新型コロナウイルス感染症拡大で、それまで毎週通っていた卓球教室、絵画教室、シルバーコーラス等、すべて閉鎖、あるいは解散となった。
子宮等摘出で女性ホルモンのバランスが大幅に崩れたことと合わせ、外に出る機会がめっきり減ったことから、筋力等が急激に衰え始める。
それでもまだ、自分で車を運転しスーパーまで買い物に出かけていたので、この時点ではまだ日常生活には大きな支障はなかった。
だが、致命的なことは、ある日、何の前触れもなくやってくる・・・。

X(エックス)デーから急速な衰えが始まる

ちょうど今から二年前、玄関先の植木を家の中に入れようとした際、二度目の圧迫骨折を起こした。
当初は痛みは訴えてはいたが、前回使用したコルセットを使ったりしながら、それでも普段通り動いていた。
前回はコルセットを使用しただけで自宅でなんとか回復していたから、今度もそうだろう、という楽観が本人にはあった。
前回ほどまだ痛くない、ロキソニン湿布を貼れば痛みもわかんない、とのことで、もともと横着なこの人はコルセットもつけたりつけなかったりで好きなように動き回っていた。
一週間ほどして、ベッドから起きようとした際、致命的な痛みが起こった。
もはやロキソニンもまったく効かず、起き上がることすら激痛でできない。
父親S氏が、あわてて、かつて筆者の祖父が使用していたポータブルトイレを倉庫から出してきて母Mのベッドのわきに設置したが、そこまで体を移動することさえ激痛でできなかった。
状況を見ていた筆者が、もはやこれは致し方なく119番に電話、救急車で地域の基幹病院に運ばれ、そのまま入院することとなった。
ひと月ほどの入院でなんとか起き上がれてトイレ程度はいけるようになったため、退院はした。
筆者が包括支援センターに連絡し、入院中に要介護認定もしてもらったが、以来、実家にて生活はしている。

二度目の圧迫骨折は致命的で、歩行はかなり困難に。屋内でも杖を使わねば歩くことができない。

二度目の圧迫骨折は致命的で、歩行はかなり困難に。屋内でも杖を使わねば歩くことができない。

当初は食事等の準備は筆者がしたが、なにもしないと本当に寝たきりになるのは目に見えていたので、冷凍総菜の宅配等も手配したうえで、現在は母親Mは父親Sと自分の食事についてはなんとか準備はしている。
トイレも、この実家は古民家でバリアフリーではないのだが、筆者が段差には手摺等を設置し、なんとか自分で行かせている。
非情のようだが、そうさせているからこそ、退院当初は歩くのもままならなかったのが少し回復はしてきている。
しかし、昨年暮れから、母親Mは、「胸が苦しいような気がする」という症状を訴え、病院への駆け込みを繰り返すようになった。

ほぼ「寝たきり」に

「胸が締め付けられるような気がする」「難儀くなってしまって起きていられない」と本人は訴える。
圧迫骨折による入院から戻って以降、体力等の急速な衰えで横になっていることが多くなっていたのだが、ここへきて母親Mは、食事の準備(といっても冷凍総菜があるので味噌汁と炊飯程度)、風呂、トイレ以外は、ほぼ寝たきりの様相を呈してきた。
それで、「心臓がおかしくなっているんだ。きっとそうだ」と慌てふためき、病院へ駆け込む。
父親Sが近所のクリニックまで送っていくのだが、父親Sも血圧が高い、脳梗塞だ、とかパニックを起こして送迎しないときもあり、その場合は仕事を休むか中断して筆者が送るしかない。
だが、病院へ行き、心電図や血圧などを測定したとしても、どこにもなにも異常は見受けられない。

昨年から、「苦しい」「難儀い」を繰り返し、病院に駆け込む日々。薬は時系列でどんどん増えた。が、なにも改善はされなかった。

昨年から、「苦しい」「難儀い」を繰り返し、病院に駆け込む日々。薬は時系列でどんどん増えた。が、なにも改善はされなかった。

しかし、「死ぬかもしれない」とパニックを起こしては、多い時には週に四回も病院へ駆け込むようになった。
これではほぼ毎日だ。

「どこが、どう苦しいのだ?」

と尋ねても、

「わからない。だが、胸が苦しい」

としか返ってこない。

これでは、医師も何がどうなっているのだか、わからないだろう。
苦しくてたまらない、なんかいい薬をよこせ、と医師に言うものだから、あれこれ薬はどんどん増えていった。
当初は、骨折に対する骨の強化の薬と利尿剤、および軽めの降圧剤だけだったのが、あれこれ違った種類の降圧剤、利尿剤から、苦しいときだけ飲むニトロまで、医師はどんどん薬を増やしたが、まったく改善は見られない。
しまいには、「心因性によるもの」と言われ、抗うつ剤エチゾラム錠(デパス)を処方された。
これは多少は効くようで、「少しは楽になる」と言っていたが、しかし本人言うところの「発作」は、抗うつ剤でも治まることもなく、あまりに本人が病院に頻繁に行くので、医師は検査して「心臓の冠動脈が細くなっている”ようだ”」(”ようだ”とは、どういう意味だろう?あてずっぽか?)と強引に原因推定を行い、この五月には冠動脈ステントを挿入することとなり、それで一週間ほど母親Mは入院した。
さて、ステントは成功し、冠動脈の状態も良くなった。
これでよくなるかと思いきや、・・・まったく「発作」は改善されなかった。

これは薬の副作用ではないのか?

筆者が、医師の処方している薬を調べると、いろいろと副作用が強い薬、それも「異常や不快感を覚えたり、改善が見られない場合は医師と相談してください」と書いてあるようなものばかり。

しかも副作用に書いてある症状が極めて母親の「発作」と似ている。
そういうものを、この半年の間に医者はどんどん増やしていっている。
最初、圧迫骨折の薬と合わせて軽度の降圧剤だけ一種類飲んでいたものが、四種類になり、しまいにはエチゾラムまで混ざり、七種類になった。
薬を増やすごとに、母親Mの「発作」は悪くなる一方なのである。
考えてみると、圧迫骨折で入院となる以前、母親Mは薬と言うのはのどが痛いときに風邪薬を飲む程度で、まったくこのようには飲んでいなかった。
冠動脈が細くなっているから、とステントを入れても改善がされないわけだし、その他、心電図とかCTも毎週のように調べるが、どこにも異常はない。
機器を一日つけっぱなしにして心臓の動きを観察する検査もしたが、異常は見られない。
・・・これは、もしかしたら、単純に薬の副作用なのではないか?との疑いが起こった。

出されている薬の大半が、副作用として母親Mが訴えるような症状と関連する可能性があるものばかりだった。副作用による不快感ではないのか?との疑いが沸き起こる。

出されている薬の大半が、副作用として母親Mが訴えるような症状と関連する可能性があるものばかりだった。副作用による不快感ではないのか?との疑いが沸き起こる。

そこで、医師にそのことを伝えさせ、電話で看護師にも言った。
医師もいい加減なもので、そのように言われれば、
「そうかね?では、ちょっと薬を変えてみましょうかね?」
と、ころっと薬を変え、また出していた薬の数自体を減らした。
もし、医師として病状を確信したうえで処方しているのであれば、説明を聞きたいと思っていた筆者には、拍子抜けするくらいだった。
どう見てもこの現状とは無関係で副作用が強そうなものは指摘してやめさせ、必要なものでも副作用が強いものは別なものに変更させたところ、大幅に「発作」と母Mがいうところの症状は緩和し、ほぼ出なくなった・・・。
あきれかえる話だ。
医師よりもWebで調べて医師でもない筆者が言っていることの方が、よほど改善が早いのではないか?
いったい、どうなっているのだ?

高齢者医療に感じる疑惑

高齢化社会とは、医者や医療機関と密接なかかわりを持っている。
非常に大量の高齢者が、不調を訴えて毎日のように病院を訪れる。
ビジネスとしてこれを見れば高齢化社会においては医師は大繁盛である。
しかし、母親Mの件に関して言えば、筆者は医師というものの常識や良識を疑わざるをえなくなってくる。
母親Mが毎回大騒ぎして駆け込んだこともあるが、そのたびごとに薬が増えた。
薬を増やすごとに状態は良くなるどころかますます悪化したのだが、医師はこれが薬の副作用によるものとは考えないのだろうか?
なにもそうした可能性を顧みず、出している薬を変更もせず、「そうですか。では別の薬も出しましょう」と新たな症状が出るごとに対処療法として薬の種類をどんどん増やしていくのは、一種の医療点数稼ぎをどうしても疑ってしまう。
こんなことをしていけば、症状が改善する以前に、薬漬けではないか。

「薬漬け」は、高齢者医療ではよく見受けられる。医師は医療点数稼ぎでやっているのではないのか?との疑いをもたれている方は、少なくはない。

「薬漬け」は、高齢者医療ではよく見受けられる。医師は医療点数稼ぎでやっているのではないのか?との疑いをもたれている方は、少なくはない。

さらには、「心臓の冠動脈が細くなっている”ようだ”」とかいう、非常にあいまいな言い回しでステントを入れているのであるが、そもそも薬の副作用が原因なのではないか?と疑うこともせず、ステントを入れるというやり方は、適切なのだろうか?
それで症状が改善すればまだよいが、・・・なにも改善しないとは、いったいこの医師たちはどうなっているのだ?

高齢者医療の「闇」?

たとえて言うなら、風呂のボイラーの温水の出が悪くなっているから、直してくれ、と業者に言ったら、ボイラーそのものの交換が必要です、と業者が言って交換することになった、と。

だが、温水の出は改善されない、というようなことがあれば、どうなのだ?
それは原因がボイラーそのものでないのに、新しいものを売りつけるためにそういうことをする「悪徳業者」ということになるであろう。
医師には悪いが、母親Mのステント処置なども、これと本質は何ら変わらないように思えてくる。
これがボイラーならば、腹は立つがまだいい。
元通りにさせたうえで、別な業者に原因を究明させることもできる。
・・・だが、ステントは、そうはいかない。
人の体を、なんだと思っているのだろう?
原因が薬の副作用であるかもしれないことを疑わず、薬を変更するなりもせずにこうした処置を行っているとしたら、それは医師としての資質や能力に欠ける「ヤブ医者」であろう。
だが、ヤブ医者というだけならば、まだかわいいものだ。
・・・もし、この医師たちが、薬の副作用が出ていることも、ステントを入れても大した改善がないことも、すべてをわかったうえでやっているとすれば、どうなのだ?
・・・それはきつい言い方をすれば、高齢化社会に巣くっている悪質な「詐欺ビジネス」と変わらないのではないのか?

医師に言えば、むろん否定するであろう。

だが、実際がどうだかなんて、こうした経緯を見ていると、限りなくグレーな気がしてならない。

私たちは、医師の善意を信じるほかはない。しかし、グレーなケースも少なくないのではないだろうか?実際に母親Mのようなケースを目にすると、医師には悪いが、疑いの目を向けざるを得なくなる。

私たちは、医師の善意を信じるほかはない。しかし、グレーなケースも少なくないのではないだろうか?実際に母親Mのようなケースを目にすると、医師には悪いが、疑いの目を向けざるを得なくなる。

お年寄りは薬手帳を持たされたって、まともに見ない人も多い。
「なにやったって、俺たちの診察の言いなりで、どうせ意味なんてわかんねえんだから、薬は出せるだけ出して儲けてしまおう。それで不調を訴えるならば、ステント入れればさらにがっぽり点数稼ぎもできるしな、ひっひっひ」
というような薄笑いが聴こえてきそうで気持ちが悪いのである。
いずれにせよ、医師がすべてこうではないと信じてはいるが、こんなことが身近で起こって経緯を間近に見てしまうと、医師というものをどうしても疑ってしまわざるを得ない。
高齢化社会というのをビジネスとしてとらえれば、こうした悪徳業者のボイラー交換まがいのことが、けっこうそこらじゅうで行われていても、なんら不思議ではないのである。

抗うつ剤への依存と、「死にたい」症候群

だが、こうした一連の処置は、もう一つ、母親Mに深刻な結果をもたらしてしまった。
それは、抗うつ剤エチゾラムデパス)への依存症である。
この抗うつ剤が効いている間は、ご機嫌で鼻歌を歌ったりしているが、切れてくると・・・ことあるごとに「死にたい」「死んでやる!」を口にするようになったのである。

「死にたい」「死んでやる!」とことあるごとに口にする母親M。こうした錯乱は、抗うつ剤がなくなった時期が極めて多い。

「死にたい」「死んでやる!」とことあるごとに口にする母親M。こうした錯乱は、抗うつ剤がなくなった時期が極めて多い。

・・・死にたくないから、医者に駆け込み、頻繁に騒動を起こしているのではなかったのか?
筆者はあんたが「死ぬかもしれない、早く!」というから、仕事を中断して病院まで送ったりしているのだぞ?
なんだか、まるっきり矛盾している。

頭がおかしいとしか思えない。
死にたくないのか?死にたいのか?いったい、どうしたいのか?この人は?
「死にそうだから、病院へ連れていけ!」と言ったかと思えば、今度は「死にたい」だの「明日死んでやる!」だの言われて、こちらも頭がおかしくなりそうになる。
これは、博愛主義者の方が聞いたら、
「それは、あなたがやさしくしてあげねばなりません。高齢者は不安になるものなのですから、ご家族の方の暖かい心遣いが必要なのです」
とか、大層なごたくを並べそうである。
が、筆者に言わせれば、そんな理想論では決して済まされない。
確かに、子供が泣きわめいたりして要求を通そうとするのと一緒で、やさしく、要求通りにせよ、ということの裏返しだということは理解できなくもない。
だが、筆者はすでに片側では認知症で奇行を繰り返し狂気を発している父親S氏に対処もしなければならない。
そしてもう一方で、これまた少なからず狂気をはらんだ母親Mの「死にたい」攻撃にさらされている。
博愛主義も大いに結構だが、現実的にはそんなことを言っていたら、エライことになってくる。
すでになっている。

絵にかいたような博愛主義では対処はできない!

親戚が、電話してきて上記博愛主義者のようなことを言い、筆者の配慮が足らないようなことを抜かしたから、ブチ切れたこともある。
その叔母は、博愛主義の偉そうなことを説教がましくたらたら言い、あげくのはてに今度は自分が筆者の両親に世話になってきたから、「そのうち」自分が世話を手伝うつもりだ、とか抜かした。
「あんたな、俺が現在やってること、よく知りもしねえくせに、偉そうなこと言うのも、できもしないのに手伝うだの、キレイごとぬかすのもやめろ!二度と俺に対してそういうエラそうな説教抜かすな!」
博愛主義は結構なことだが、ここではそんなことを言ってれば、対処どころではなくなるのだ。

ガスコンロはつけっぱなし、ファンヒーターがついているのを気づかず、ヒーターの前10センチの間隔しかない状態でガラス戸を閉める、水道は出しっぱなしでも音がわからない、怒鳴ってやめさせなければ、こちらまで命が危うい。

外部者は、勝手な博愛主義を押し付けがちだ。だが、実際の状況は、博愛主義をやっていればとんでもないことになる。言葉ではキレイなことはいくらでも言えるが、行動を伴わずにいい人づらすれば、それは偽善である。

外部者は、勝手な博愛主義を押し付けがちだ。だが、実際の状況は、博愛主義をやっていればとんでもないことになる。言葉ではキレイなことはいくらでも言えるが、行動を伴わずにいい人づらすれば、それは偽善である。

そんなキレイごとを言ってる場合ではないのである。
このバカな叔母は、最初は偉そうにごたく抜かして説教めいたことを言い、さらには両親に世話になってきたから、「そのうち」私が世話を手伝うつもりだ、とか抜かすから、「いやあ、遠慮しないでくださいよ、なんなら、明日来てくれるんでも構いませんよ?」と言えば、「犬が死にそうだから、今はいけないわ」。
ふざけるな!だったら言うな!この偽善者が!
あまりにぶち切れたので、論理的にぼろくそ言ってやった。

あまりに腹が立ったものだから、筆者まで血圧が上がり、軽い眼底出血を起こし、自分まで降圧剤をしばらく飲んでいたような始末だ。
叔母は筆者が心底ぶち切れていることに狼狽し、正論すぎてなにも言い返せなくなり、しまいには泣き出した。
だったら、もう二度と下らん電話かけて寄越すな!
頭が狂った父親Sに、これまた寝たきりで「死にたい死にたい」といいつつ苦しければ病院に連れていけ、と発狂する頭のおかしい母親M。
いちいちこういうバカ博愛主義者の連中の言うとおりにしてたら、火事が起こるか事故を起こすか、とんでもないことになる。

そうでなくてもトラブル続きで筆者の方がなにもできずにいる。

そのうえ、バカな博愛主義者の叔母の説教なんぞいちいち聞いてたら、真面目な話、こっちのほうが脳溢血起こすか、気が狂うわ!
おーよちよち、だの言ってられない。
彼らは二人とももはや正常ではない。
狂気の行動に出ようとしているならば、怒鳴りつけてやめさせねばならない。
それが、筆者の立場なのだ。

それにしても、母親Mの、この「死にたい」というような錯乱は、一種の中毒、依存症になってしまった抗うつ剤の副作用による面も大きい。
次回、このことを踏まえ、もう少し具体的にお伝えしよう。

第二回:ドキュメント「壊れゆく父親」認知症実録レポート 2

超・高齢化社会を考える! 

第二回:ドキュメント「壊れゆく父親」認知症実録レポート 2

延々と血圧測定

10月。
ここ数年、この時期に入ると、毎朝、筆者が両親と同居している実家ではパニック的な情景が繰り広げられる。
「血圧が、下がらねえんだいや・・・弱ったなあ、脳梗塞かもしれない」
筆者の父親S氏が、血圧計を腕につけて、焦燥しきった表情で血圧を計測する。
・・・一回、二回ではないのである。
先ほどから、すでに一時間近く、延々と血圧を計測しているのだ。

毎朝、血圧が少し高ければ「脳梗塞かもしれない」と、延々と1時間でも2時間でも血圧を測り続ける。血圧計は、毎日電池交換が必要になる・・・。

毎朝、血圧が少し高ければ「脳梗塞かもしれない」と、延々と1時間でも2時間でも血圧を測り続ける。血圧計は、毎日電池交換が必要になる・・・。

 

血圧は、140-80から、160-110台を行ったり来たり。
脳梗塞が起こるかもしれねぇやあ・・・弱ったなア、弱った」
と繰り返し、延々と血圧を測り続ける。
電池式の血圧計なので、たいがい毎日電池交換しなければならなくなるのである。
だが、まだいいほうだ。
三年ほど前までは、
「血圧が180以上ある!頭が痛い。脳梗塞が起こっているに違いない!」
と慌てふためき、救急車を呼んで病院に搬送してもらう、ということが1シーズンに三回もあったのだ。
病院に駆け込むと、血圧を測れば平常値、脳梗塞が起こった!とあまりにもS氏が騒ぎ立てるからCTやMRIで検査するが、「異常なし」で帰される。
が、母親Mもいっしょに救急車で病院に行っているものだから、帰るに足がない、とかで筆者が仕方がないから仕事を中断して迎えに行く、といったありさまだ。
そのうちに、病院や救急隊のほうでも、S氏がパニックを起こして頻繁に電話するのに対して、
「まずはお渡ししている降圧剤を飲んで、様子を見てください。むやみに救急車を呼ばないでください。こういうことで安易に救急車を呼ばれる方が多くて、私たちも困っているのです」
と言われる始末。
それで最近は「オオカミ少年」的に相手にされないこともあり、さすがに救急車は呼ばなくなったが、毎朝のように気温が下がれば血圧計を1時間でも2時間でも測り続ける、という「奇行」は繰り返される。
「気温が下がれば、血管が収縮するから、血圧というものは上がる。血圧が高いのならば、部屋を暖めるなり、服を多めに着込んで布団で体をよく温めてから再度測りなおしなさい。そんなやり方で延々と計測したって、意味がないのだから」
などと諭したって、
「うるさい!脳梗塞になったら、大変なことになるんだ!余計なことを言うな!」
とぶち切れし、さらに血圧は上がる。
最近は、この狂気が始まったら、放っておくことにしている。
どうせ降圧剤と精神安定剤を飲めば下がる話だ。
うろたえるのに同調すること自体がバカげている。
なにか言えば、逆上して切れるだけなのだ。

パソコンが起動できない

認知症」の一環として、物事の認識ができず、判断力も失っていくというのは、このような「結果が同じなのに、合理的な判断ができず、延々と同じ行動を繰り返す」というところで顕著に出ているように思われる。

S氏は、突然パソコンを起動させることができなくなった。
パソコンを起動させる際のピンコードが、打ち込めない、やり方がわからない、というのである。
少し前まで、普通にパソコンを起動させ、Wordで俳句の会の定例会の採点表を作っていた。
それが、この夏、パソコンが起動できなくなった。

急にパソコンの起動ができなくなった。これまで起動していたのに、「わからない」を繰り返す。

急にパソコンの起動ができなくなった。これまで起動していたのに、「わからない」を繰り返す。

 

ピンコードは、複雑にしないためにバカでも覚えられる「1234567」で設定してあるし、パソコンの前に紙で大きな字で、その動作の手順を書いて貼ってある。
ところが、これまでそれでやっていたことが急にわからなくなった。
で、問題なのは、ピンコードを入力せずに起動させようとしてエラーが出る、という動作を、「おかしいなあ、弱ったなア」と呟きつつ、・・・なんと、二時間半も延々と繰り返しているのである。
ついにパソコンをかまってるうちに血圧が上がった、と半日パニックを起こした挙句、困り果てた様子で、筆者に助けを求めた。
筆者が、
「この紙にはなんて書いてある?こないだも教えたし、今までだって自分で起動させてただろ?なんて書いてある?」
と訊ねると、
「わからない」
と言う。
書いてある日本語、それも自分で書いたはずのことが、「認識できない」という状況に陥っている。
「このピンコード入れないとさ、起動しないんだよ?」
と言うと、
「そうだったかな?」と、今度はカーソルを合わせずピンコードを入力しようとする。
そこに合わせて入力しないとダメでしょ?と言うと、
「こんつらんもん、ダメなんだいや!こんなパソコン、壊れてておかしいんだいや!」
と逆上して切れる。
壊れてるのは、あんたの頭だ・・・。
逆上するのは勝手だが、俳句の会が明後日に迫っており、会員の人たちから寄せられた俳句を一覧表にして、採点をつけるシートが作れない、弱った弱った、とうろたえているので、
「それならば、副会長のHさんに頼め!」と逆に筆者の方が切れる。
実はこうした状況がこの半年の間、毎月繰り返されており、こういう日がくることを予想していたので、俳句の会の副会長Hさんには、すでに筆者が俳句の会の採点表フォーマットを作成して渡してある。
「オレが作ることになってるんだいや!Hさんに頼まなくたって、オレがやるんだいや!」
とS氏は逆上して、「出ていけ!」と筆者を自室から追い出し、また採点表を作り始めたが、今度はWordの使い方がわからない、プリンターが操作できない、ともはやなにがなんだか「すべて」わからなくなっており、ついに諦めて、Hさんのところに今月のみんなから寄せられた俳句を持っていき、
「パソコンの調子が悪いから、今回から採点表を作ってくれ」
と依頼した。

近所からも異常を指摘される

・・・さて、Hさんの家に行ってきた後、少し昼寝してS氏は目覚めた。
母親Mに、
「・・・そういえば、俳句の採点表をもう仕上げねばならんが、Hさんは、まだ今月の俳句を持ってきてないなあ?電話しとかねばならん」
と言い、Hさんに電話を掛けた。
「あ、Hさん?今月の俳句、まだオレんとこにもらってなかったね?・・・え?あんたに渡しに行った?オレが?あんたがやるんだったかなあ?・・・オレが頼んだ?・・・そうだったかなあ?」

行動した記憶自体が、完全になくなってしまう。すでに近所の人たちも気づいている。

行動した記憶自体が、完全になくなってしまう。すでに近所の人たちも気づいている。

 

先ほど、Hさんの自宅に俳句の採点表を今回から作ってくれ、とみんなの俳句を手渡しに行ってきたことは、この二時間ほどの間に、完全に記憶から消えてしまった。
間もなく、Hさんから筆者のところに電話がかかってきた。
「・・・あんたのお父さん、こう言っちゃなんだども、おかしいで?最近、さっきなにかを確認しに電話してきたと思ってたら、おんなじ内容の確認の電話をなんべんもかけて寄越しなさる・・・。今日はさ、自分で俺のところにみんなの俳句を持ってきて、今回から俺に採点表作る仕事やってくれ、って頼みに来られた。なのに、さっきまた電話がかかってきて、今月の俳句をまだもらってないが、どうしなさった?とか言っておられるよ・・・。」
記憶のフラッシュメモリーがすでに壊れているため、どうやら周り中にこうした意味不明の電話を何度もかけているようだ。
筆者はやむを得ず、最近の実状をHさんにお話しした。
Hさんは、
「おめさんさ、これはもうだいぶ、”アレ”が進んでおられるっけ、早めにあそこの包括支援センターに相談入れたほうがいいじゃねえかね・・・?一気に進むことだからさ、早めに準備しとかねえと、あんたの方がエライことになるよ・・・」

エライことには、すでになっています、としか言いようがなかった。

認知症と言う名の「狂気」

認識能力の喪失、記憶のフラッシュメモリーの故障、本来持っていた記憶本体も故障、判断力の喪失・・・これらが複合されて起こってくる俗にいう「認知症」の症状は、さっき手に持っていたものを、どこに置いたかすぐ忘れるというところから始まって、さっき聞いたこと、話していたこと、その会話の記憶すらすぐ失ってしまう。
当然、書類をどこにしまったか?その書類を記入したか?誰とさっきなにを話したか?ひいては、そもそもその誰かと話したかどうか、そのものの記憶さえもすぐに記憶データから消失する。
これは、モノを片づけたり、処理できない、ということにつながり、徐々にS氏の生活領域は「ゴミ屋敷」と化していっている。
だが、ここで同居する家族にとって非常に困難なことは、S氏本人が、現実を受け入れられない、事実をいっさい認めないことなのだ。
これは、「狂気」以外の何事でもない・・・。

記憶のフラッシュメモリーが壊れ、さらには重要な記憶もどんどん消えていく。すでに一人で生活は不可能なのだが、認めないのは本人のみ。これは狂気としか言いようがない。

記憶のフラッシュメモリーが壊れ、さらには重要な記憶もどんどん消えていく。すでに一人で生活は不可能なのだが、認めないのは本人のみ。これは狂気としか言いようがない。

 

本人は、自分は「正常」である、と主張する。
・・・悪質な冗談みたいな話だ。
すでに正常どころではない。
現実的に言って、S氏は、すでに一人で家にいることができない。
母親Mが、少しトイレに行ったりして、身近にいなくなっただけで、大いにうろたえて探し回る。
母親が入院しているときなどは、少し血圧が上がり、死への不安が増大すれば、筆者が仕事で出ていてもすぐに電話をかけてきて、
「血圧が下がらねえんだいやあ、帰ってきてくれいやあ」
とパニックを起こし、うろたえる。
筆者は最初は、
「難儀なのか?どこが、どう難儀なのだ?」
と一応、確認しようとしていた。
するとS氏は、
「わからない」
と言う。
「わからねえんなら、とりあえず寝てろ。そんな160程度の血圧じゃ、医者にも相手にされん」
と突き放すと、
脳梗塞が起こったら、どうするんだいやあ」
とうろたえまくる。
筆者は仕事で出先にきているので、いいかげん、腹が立ち、
「そんなんなら、自分で救急車呼べ!」
・・・そして帰ってみると、血圧は下がった、と言う。
降圧剤と精神安定剤の頓服薬を飲んだら、気分が良くなった、とかで今度は夜中にゴミを出しに出てみたり、わけのわからぬ活動を活発に始めるのである。

「自分は永久に死なない」

この人は、「死」ということを、認めることができない。
信じられぬ話であるが、「自分は永久に死なない、死ぬはずがない。オレが死ねば、この家は終わってしまう」とS氏は主張する。
冗談で言っているのではない。
本気で、そのように思っているのだ。
いや、思いたくて仕方がないのだ。
客観的に言って、これを、そして彼の一連の行動を「狂気」という言葉以外で表現することは、難しい・・・。

筆者の実家における「超・高齢化社会」問題は、この父親S氏だけでも、非常に困難なものがあるのだが、さらに困難を倍増させているのは、・・・母親Mも、これまた大変な存在なのである。
彼女は、二年前、圧迫骨折が悪化して激痛で起き上がることもできなくなり、救急車で搬送され、入院することとなった。
現在は、多少の家事、主に自分らの食事の支度程度はしているが、歩行が困難となりすでにほぼ一日中寝たきりの生活をしている。
・・・こちらは、歩行もさることながら、精神を病んできており、すでに抗うつ剤がないと胸が苦しいとかで意味不明に「苦しく」なり、立ち上がることもできないのである。

次回は、この母親Mの実状がどのようなものであるかを、ドキュメントしていく。

プロローグ:ドキュメント「壊れゆく父親」認知症実録レポート 1

超・高齢化社会を考える! 

プロローグ:ドキュメント「壊れゆく父親」認知症実録レポート 1

毎日繰り返される混乱

「母さん、内科に行く日が11/21で、整形外科に行く日が11/1だよなあ?」
父親S氏が、つぶやくように母親M女史に「また」訊ねた。
S氏は、さっきから新聞社が配布している二か月分のスケジュールが書き込めるようになっている大判のカレンダーを見ている。
母親Mは、先ほどからこの質問を三度も繰り返し尋ねられ、そのつど、
「そうですよ」
と答えている。

記憶がおかしくなって以来、S氏はスケジュール表を記入するが、すでにそれすらも管理できなくなっている。

記憶がおかしくなって以来、S氏はスケジュール表を記入するが、すでにそれすらも管理できなくなっている。事柄の認識ができないため、間違った修正をしてはまた混乱する。

 

三分ほどして、父親S氏が、
「母さん、それじゃ、内科に行く日が11/1だな?11/21って書いてあるから、消して、直しておくいやー」
最近、圧迫骨折の後、ほとんど歩けなくなってしまい、寝たきりに近くなっている母が、声を荒げる。
「なにを言ってるの!さっきから、内科は11/21だって、何度も言ってるでしょ!11/1は外科だって、自分でも何度も言ってて、どうなってるんだて!」
S氏は、きょとんとした顔で、
「俺は今、初めて訊いたんだねっかやー」
と真顔で言う。

認知症と言う名の「崩壊」

今年、S氏は91歳である。母親Mは現在83歳である。
突然、こういうことが発生しているというわけではない。
これは、すでに一昨年から、ほぼ毎日のように繰り返されている光景である。

明らかな記憶や認識の混乱が見られるようになったのは、数年前。それは次第に悪化の一途をたどる。

明らかな記憶や認識の混乱が見られるようになったのは、数年前。それは次第に悪化の一途をたどる。

 

筆者は、現在、この二人と同居している。
いや、同居を余儀なくされている、と言うべきか。
筆者には妻子がおり、国際結婚をしている。
妻の国で暮らそうと思い、それまでやってきた事業を円満に清算、言語の資格も取って、さて、出発しよう、と思っていた矢先、実家でこのような状況が発生した。
発生したというよりも、兆候は何年も前からうすうすあったのだが、それが急激に良くない方に悪化してしまったのだ。

父親S氏は、このところ、明らかに「認知症」の様相を呈している。
私は、実際にこの状況に巻き込まれて初めて、俗に言われるところの「認知症」というものの実状を知った。
一般的な「物忘れ」とは明らかに違うのである。
「物忘れ=記憶の衰え」というのであれば、人間は30代後半から誰でも起こりえる。
人の名前がそこまで出て来かかっているのに、出てこない。
単語が出てこない。
約束事を忘れてしまった。
こういうことは、誰にでもよくある話だ。
認知症」とは区別しなければならない。
認知症」というのは、よく名付けたと思うのだが、その字のごとく、「認知能力の障害」である。
「認識能力の障害」と言ってもいい。
「ものごとの認識ができなくなる」のである。
そして、それが「物忘れ」ではない、「記憶のフラッシュメモリーの故障」と連動し、大きな混乱を引き起こす。
これは次第に、頭本体のメモリーが動作しなくなる状況と連動していく。
次第に過去の記憶も含め、脳が保持していた情報の崩壊と混乱となって、非常に深刻な事態へとつながっていく。

意味をなさないスケジュール表

冒頭のエピソードで、S氏は、ちゃんとすでにスケジュールが書かれているカレンダーを見ながら、同じことを何度となく訊き返している点にご注目いただきたい。
スケジュールは、書き込んであるのだが、書いてあることが「認識できない」状況に陥ってしまっている。
そして、母Mに確認するのだが、確認したこと自体の記憶が、頭のフラッシュメモリーの故障で残らない。
何度も、同じことを訊き返す。
そのうち、母が言ってもいないのに、内科に行くのが11/1である、と急に外科と内科の区別が認識できなくなり、勝手に訂正しようとして、そこで母Mは、声を荒げてその行動を止めようとする・・・。

記憶のフラッシュメモリーが故障、認識機能も故障、それは周りにいる家族にとっても非常に深刻な影響を及ぼす。

記憶のフラッシュメモリーが故障、認識機能も故障、それは周りにいる家族にとっても非常に深刻な影響を及ぼす。

 

この件に関しては、母が止めたから、まだでたらめのスケジュールに書き改めるのは未然に防いだ。
・・・しかし、自分で勝手になにがどうなっているんだか、「思い込み」でスケジュールを書き換えてしまうことはすでに日常的で頻繁に発生してしまっている。
町内会の会合日を、電話を受けて正しくスケジュールに書いていたはずが、なにがどうなったのか、勝手に日を書き換え、当日、町内会から「来られるのを待ってるんだが、どうしなさった?」と電話がかかってくる、ということもよくある。
これは、おそらくであるが、異なる約束が混同されて、別な件で話があったことを町内会の会合と混同して認識しているのである。
あるいは、町内会会合という言葉の認識ができなくなってしまってのことと思われる。

つまり、S氏に関して言えば、新聞社が配布する大きなスケジュール表にあれこれ書き込んでいるが、すでにその内容は正しいのか違っているのか、判然とせず、こんなもの使っていても混乱が大きくなるばかりなのだ・・・。

「認識」できなくなるということ

彼らは、台所に隣接する8畳の和室を占拠して生活している。
筆者がコーヒーをいれに台所へ行くと、台所に設置してある洗面所の水が出しっぱなしになり、ちょろちょろと水が流れていて、止めることがよくある。
これは彼ら二人ともなのであるが、すぐそばの部屋で寝起きして生活しているのに、この水道の流れる音が、「聴こえない」という。

出しっぱなしのままの洗面所の水の音が「わからない」。聴こえていないわけではないが、「認識ができない」。

出しっぱなしのままの洗面所の水の音が「わからない」。聴こえていないわけではないが、「認識ができない」。

 

「難聴」と似ていると思われるかもしれないが、これまた難聴ではないのである。
特に父親S氏は、こうしたことは、多岐にわたっている。
耳が聞こえていないのではない。
水が流れる音、たとえば雨が屋根を打つ音等が、聴こえていても「認識できない」のである。
昨年、水洗トイレタンクのストッパーが経年劣化で腐食し、トイレの水が流れっぱなしになっていた。
筆者が、そうなっているから、業者を呼んで処置が必要だ、というと、
「そんなことにはなっていない!トイレの水なんか流れっぱなしになどなっていないでや!」
と激高して切れる。
筆者がS氏をトイレに連れていき、
「ほら、ちょろちょろとずっと流れてるだろ?ほっとけば水道代もバカにならない。早く処置した方がいい」
というと、
「俺には、なにも聴こえないでや?」
と、さも不思議そうな顔でトイレを見つめている。

「認識できなくなる」ということの実例は、他にもあげていけばキリがない。
近くに、人がいるかどうか、それも認識ができなくなる。
筆者が、近くでタバコを吸っているとして、「近くに人がいる」として認識ができない。
暑さ寒さの感覚もおかしくなっている。
寒いのだか、暑いのだかがわからないので、寒い部屋で延々と作業をしていて、血圧が上がった、と大騒ぎを始める。

「明らかな狂気である」が、しかし・・・

本人は認知症を完全否定。認知症検査は、本人が同意しなければ医師は診ない。

本人は認知症を完全否定。認知症検査は、本人が同意しなければ医師は診ない。

「認識できない」ということは、「判断ができない」ということにもつながる。
毎日のように繰り返される、パニック。
すべてが、狂ってきている。
筆者が、この状況に関わるということは、いわば「狂人」と関わるに等しい・・・。
では、こうした筆者の父親S氏は、認知症として扱ってもらえるのか?
もらえないのである。
認知症と判断されるためには、医師の診断が必要となる。
また、介護認定を受けるためにも、医師の認定が必要となるのだが、・・・本人の意思により、検査を受けるのでなければ、認知症としては扱ってもらえず、ましてや頭は狂ってきていても、歩いたりできて、調査員の前で「いい子」で「自分は健常で、どこも異常はありません」と本人が「事実と違ったこと」を述べることができるのであれば、これを認知症とは認定はしてもらえない。
これが、少なくとも筆者たちが住まう新潟県の田舎町における実状である。
なぜなのか・・・?

ブログ公開の決意

筆者は、自分が今まさに直面しているこうした問題を、今回、ブログで公開することに決めた。
高齢化社会」という言葉が使われるようになってずいぶん久しい。
だが、なかなかそれにピンとこない人も多かろう。
筆者自身もそうだった。
これは、多少はテレビなどでも報じられていても、なかなか実際がどのようなものであるのかということまでは、想像力を働かせることが難しい。
実際の認知症などに接する機会がない人には、そもそもわかりづらいのは当然である。
二年前から、実際にこうした実家の状況に直面して以来、筆者に関して言えば、「高齢化社会」という問題が、いったいどういう深刻さを持った問題なのか、それまでの認識とはまるで異なる「過酷な現実」の中に放り込まれたような様相を呈している。
そこには、単なる福祉の問題だけではすまないことも多い。
社会の構造、政治、経済、倫理観の問題、医療制度の問題、ひいては死生観にも大きく関わる。
重大な問題を含んでいるにもかかわらず、その実態は実際に高齢化社会の実例と関わり合わないとなかなか見えてこない。
だが、高齢化社会はすでに「人生100年」とかいう意味不明の浅はかさをはらんだ掛け声の下で急速に進行してきており、団塊世代の多くが筆者の実家とおなじような問題に直面しようとする現在、「超・高齢化社会」となってきつつある。
極めて深刻な問題となりつつあることは間違いない。

筆者の場合、まだまだこの問題は現在進行形で、時間に比例して確実により深刻な色合いを増してきている。
このブログで、実際に起こってきている状況を踏まえ、レポートすると同時に、現代日本が抱える最も深刻な問題の一つである「超・高齢化社会」を、様々な角度から考えていきたいと考えている。

読んでいただける方がいれば幸いである。
この問題は、各家庭の個別事象ではない。
現在、親の介護等の問題を抱えていない方でも、やがては自分自身が老いる中で直面する可能性だってある。
考える人を増やし、社会全体で考えていかないとならない重大な問題であるはずだ。
数回にわたり、赤裸々な実家の状況レポートをお伝えすることで、まずはこの問題のリアリティが伝わるようにしたいと思う。