超・高齢化社会を考える!

高齢化社会の実情をつづるドキュメンタリーブログ

第二回:ドキュメント「壊れゆく父親」認知症実録レポート 2

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第二回:ドキュメント「壊れゆく父親」認知症実録レポート 2

延々と血圧測定

10月。
ここ数年、この時期に入ると、毎朝、筆者が両親と同居している実家ではパニック的な情景が繰り広げられる。
「血圧が、下がらねえんだいや・・・弱ったなあ、脳梗塞かもしれない」
筆者の父親S氏が、血圧計を腕につけて、焦燥しきった表情で血圧を計測する。
・・・一回、二回ではないのである。
先ほどから、すでに一時間近く、延々と血圧を計測しているのだ。

毎朝、血圧が少し高ければ「脳梗塞かもしれない」と、延々と1時間でも2時間でも血圧を測り続ける。血圧計は、毎日電池交換が必要になる・・・。

毎朝、血圧が少し高ければ「脳梗塞かもしれない」と、延々と1時間でも2時間でも血圧を測り続ける。血圧計は、毎日電池交換が必要になる・・・。

 

血圧は、140-80から、160-110台を行ったり来たり。
脳梗塞が起こるかもしれねぇやあ・・・弱ったなア、弱った」
と繰り返し、延々と血圧を測り続ける。
電池式の血圧計なので、たいがい毎日電池交換しなければならなくなるのである。
だが、まだいいほうだ。
三年ほど前までは、
「血圧が180以上ある!頭が痛い。脳梗塞が起こっているに違いない!」
と慌てふためき、救急車を呼んで病院に搬送してもらう、ということが1シーズンに三回もあったのだ。
病院に駆け込むと、血圧を測れば平常値、脳梗塞が起こった!とあまりにもS氏が騒ぎ立てるからCTやMRIで検査するが、「異常なし」で帰される。
が、母親Mもいっしょに救急車で病院に行っているものだから、帰るに足がない、とかで筆者が仕方がないから仕事を中断して迎えに行く、といったありさまだ。
そのうちに、病院や救急隊のほうでも、S氏がパニックを起こして頻繁に電話するのに対して、
「まずはお渡ししている降圧剤を飲んで、様子を見てください。むやみに救急車を呼ばないでください。こういうことで安易に救急車を呼ばれる方が多くて、私たちも困っているのです」
と言われる始末。
それで最近は「オオカミ少年」的に相手にされないこともあり、さすがに救急車は呼ばなくなったが、毎朝のように気温が下がれば血圧計を1時間でも2時間でも測り続ける、という「奇行」は繰り返される。
「気温が下がれば、血管が収縮するから、血圧というものは上がる。血圧が高いのならば、部屋を暖めるなり、服を多めに着込んで布団で体をよく温めてから再度測りなおしなさい。そんなやり方で延々と計測したって、意味がないのだから」
などと諭したって、
「うるさい!脳梗塞になったら、大変なことになるんだ!余計なことを言うな!」
とぶち切れし、さらに血圧は上がる。
最近は、この狂気が始まったら、放っておくことにしている。
どうせ降圧剤と精神安定剤を飲めば下がる話だ。
うろたえるのに同調すること自体がバカげている。
なにか言えば、逆上して切れるだけなのだ。

パソコンが起動できない

認知症」の一環として、物事の認識ができず、判断力も失っていくというのは、このような「結果が同じなのに、合理的な判断ができず、延々と同じ行動を繰り返す」というところで顕著に出ているように思われる。

S氏は、突然パソコンを起動させることができなくなった。
パソコンを起動させる際のピンコードが、打ち込めない、やり方がわからない、というのである。
少し前まで、普通にパソコンを起動させ、Wordで俳句の会の定例会の採点表を作っていた。
それが、この夏、パソコンが起動できなくなった。

急にパソコンの起動ができなくなった。これまで起動していたのに、「わからない」を繰り返す。

急にパソコンの起動ができなくなった。これまで起動していたのに、「わからない」を繰り返す。

 

ピンコードは、複雑にしないためにバカでも覚えられる「1234567」で設定してあるし、パソコンの前に紙で大きな字で、その動作の手順を書いて貼ってある。
ところが、これまでそれでやっていたことが急にわからなくなった。
で、問題なのは、ピンコードを入力せずに起動させようとしてエラーが出る、という動作を、「おかしいなあ、弱ったなア」と呟きつつ、・・・なんと、二時間半も延々と繰り返しているのである。
ついにパソコンをかまってるうちに血圧が上がった、と半日パニックを起こした挙句、困り果てた様子で、筆者に助けを求めた。
筆者が、
「この紙にはなんて書いてある?こないだも教えたし、今までだって自分で起動させてただろ?なんて書いてある?」
と訊ねると、
「わからない」
と言う。
書いてある日本語、それも自分で書いたはずのことが、「認識できない」という状況に陥っている。
「このピンコード入れないとさ、起動しないんだよ?」
と言うと、
「そうだったかな?」と、今度はカーソルを合わせずピンコードを入力しようとする。
そこに合わせて入力しないとダメでしょ?と言うと、
「こんつらんもん、ダメなんだいや!こんなパソコン、壊れてておかしいんだいや!」
と逆上して切れる。
壊れてるのは、あんたの頭だ・・・。
逆上するのは勝手だが、俳句の会が明後日に迫っており、会員の人たちから寄せられた俳句を一覧表にして、採点をつけるシートが作れない、弱った弱った、とうろたえているので、
「それならば、副会長のHさんに頼め!」と逆に筆者の方が切れる。
実はこうした状況がこの半年の間、毎月繰り返されており、こういう日がくることを予想していたので、俳句の会の副会長Hさんには、すでに筆者が俳句の会の採点表フォーマットを作成して渡してある。
「オレが作ることになってるんだいや!Hさんに頼まなくたって、オレがやるんだいや!」
とS氏は逆上して、「出ていけ!」と筆者を自室から追い出し、また採点表を作り始めたが、今度はWordの使い方がわからない、プリンターが操作できない、ともはやなにがなんだか「すべて」わからなくなっており、ついに諦めて、Hさんのところに今月のみんなから寄せられた俳句を持っていき、
「パソコンの調子が悪いから、今回から採点表を作ってくれ」
と依頼した。

近所からも異常を指摘される

・・・さて、Hさんの家に行ってきた後、少し昼寝してS氏は目覚めた。
母親Mに、
「・・・そういえば、俳句の採点表をもう仕上げねばならんが、Hさんは、まだ今月の俳句を持ってきてないなあ?電話しとかねばならん」
と言い、Hさんに電話を掛けた。
「あ、Hさん?今月の俳句、まだオレんとこにもらってなかったね?・・・え?あんたに渡しに行った?オレが?あんたがやるんだったかなあ?・・・オレが頼んだ?・・・そうだったかなあ?」

行動した記憶自体が、完全になくなってしまう。すでに近所の人たちも気づいている。

行動した記憶自体が、完全になくなってしまう。すでに近所の人たちも気づいている。

 

先ほど、Hさんの自宅に俳句の採点表を今回から作ってくれ、とみんなの俳句を手渡しに行ってきたことは、この二時間ほどの間に、完全に記憶から消えてしまった。
間もなく、Hさんから筆者のところに電話がかかってきた。
「・・・あんたのお父さん、こう言っちゃなんだども、おかしいで?最近、さっきなにかを確認しに電話してきたと思ってたら、おんなじ内容の確認の電話をなんべんもかけて寄越しなさる・・・。今日はさ、自分で俺のところにみんなの俳句を持ってきて、今回から俺に採点表作る仕事やってくれ、って頼みに来られた。なのに、さっきまた電話がかかってきて、今月の俳句をまだもらってないが、どうしなさった?とか言っておられるよ・・・。」
記憶のフラッシュメモリーがすでに壊れているため、どうやら周り中にこうした意味不明の電話を何度もかけているようだ。
筆者はやむを得ず、最近の実状をHさんにお話しした。
Hさんは、
「おめさんさ、これはもうだいぶ、”アレ”が進んでおられるっけ、早めにあそこの包括支援センターに相談入れたほうがいいじゃねえかね・・・?一気に進むことだからさ、早めに準備しとかねえと、あんたの方がエライことになるよ・・・」

エライことには、すでになっています、としか言いようがなかった。

認知症と言う名の「狂気」

認識能力の喪失、記憶のフラッシュメモリーの故障、本来持っていた記憶本体も故障、判断力の喪失・・・これらが複合されて起こってくる俗にいう「認知症」の症状は、さっき手に持っていたものを、どこに置いたかすぐ忘れるというところから始まって、さっき聞いたこと、話していたこと、その会話の記憶すらすぐ失ってしまう。
当然、書類をどこにしまったか?その書類を記入したか?誰とさっきなにを話したか?ひいては、そもそもその誰かと話したかどうか、そのものの記憶さえもすぐに記憶データから消失する。
これは、モノを片づけたり、処理できない、ということにつながり、徐々にS氏の生活領域は「ゴミ屋敷」と化していっている。
だが、ここで同居する家族にとって非常に困難なことは、S氏本人が、現実を受け入れられない、事実をいっさい認めないことなのだ。
これは、「狂気」以外の何事でもない・・・。

記憶のフラッシュメモリーが壊れ、さらには重要な記憶もどんどん消えていく。すでに一人で生活は不可能なのだが、認めないのは本人のみ。これは狂気としか言いようがない。

記憶のフラッシュメモリーが壊れ、さらには重要な記憶もどんどん消えていく。すでに一人で生活は不可能なのだが、認めないのは本人のみ。これは狂気としか言いようがない。

 

本人は、自分は「正常」である、と主張する。
・・・悪質な冗談みたいな話だ。
すでに正常どころではない。
現実的に言って、S氏は、すでに一人で家にいることができない。
母親Mが、少しトイレに行ったりして、身近にいなくなっただけで、大いにうろたえて探し回る。
母親が入院しているときなどは、少し血圧が上がり、死への不安が増大すれば、筆者が仕事で出ていてもすぐに電話をかけてきて、
「血圧が下がらねえんだいやあ、帰ってきてくれいやあ」
とパニックを起こし、うろたえる。
筆者は最初は、
「難儀なのか?どこが、どう難儀なのだ?」
と一応、確認しようとしていた。
するとS氏は、
「わからない」
と言う。
「わからねえんなら、とりあえず寝てろ。そんな160程度の血圧じゃ、医者にも相手にされん」
と突き放すと、
脳梗塞が起こったら、どうするんだいやあ」
とうろたえまくる。
筆者は仕事で出先にきているので、いいかげん、腹が立ち、
「そんなんなら、自分で救急車呼べ!」
・・・そして帰ってみると、血圧は下がった、と言う。
降圧剤と精神安定剤の頓服薬を飲んだら、気分が良くなった、とかで今度は夜中にゴミを出しに出てみたり、わけのわからぬ活動を活発に始めるのである。

「自分は永久に死なない」

この人は、「死」ということを、認めることができない。
信じられぬ話であるが、「自分は永久に死なない、死ぬはずがない。オレが死ねば、この家は終わってしまう」とS氏は主張する。
冗談で言っているのではない。
本気で、そのように思っているのだ。
いや、思いたくて仕方がないのだ。
客観的に言って、これを、そして彼の一連の行動を「狂気」という言葉以外で表現することは、難しい・・・。

筆者の実家における「超・高齢化社会」問題は、この父親S氏だけでも、非常に困難なものがあるのだが、さらに困難を倍増させているのは、・・・母親Mも、これまた大変な存在なのである。
彼女は、二年前、圧迫骨折が悪化して激痛で起き上がることもできなくなり、救急車で搬送され、入院することとなった。
現在は、多少の家事、主に自分らの食事の支度程度はしているが、歩行が困難となりすでにほぼ一日中寝たきりの生活をしている。
・・・こちらは、歩行もさることながら、精神を病んできており、すでに抗うつ剤がないと胸が苦しいとかで意味不明に「苦しく」なり、立ち上がることもできないのである。

次回は、この母親Mの実状がどのようなものであるかを、ドキュメントしていく。